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ちょっとこわいもの=更新が怠惰すること

こんな時間になっても指導案がかけなくて息抜きに更新をする管理人です。
もう二次対策、というか必要書類で農業の指導案を書かなきゃいけないのにorz
持っていく教材を今盛りのグラジオラスにするか神奈川県が力を入れているスイートピーにするかで悩んでます。そのスイートピーは香りの良いもの、と書いてあるから「よしっ!!!」と思ってたのにどれも冬咲き品種だから、今の時期に買おうと思ったら高いんだろうなあ・・・(--;)

植物バイオテクノロジー。難しく考えすぎてるのかな・・・(´・ω・` )ションボリ


二次の個人面接だと絶対に「いじめ」が出てきますね。「でしょう」とか「かも」とかじゃなくて「絶対」。
もう今年は毎日どこかで「いじめ」に関する記事が出てくるからうんざりしてしまう。「いじめ」じゃなくても学校のアラがあればそれを大々的に取り上げて、「教師は異常」とか「学校はもう任せられない」とかのようなことを感じとれてしまう。私の近しい友人も「学校の対応は抽象的で、すぐにいじめた子を処罰しないから悪い結果に終わるんだ」と言っていました。


いじめの解決策。私の面接指導をしてくださる元N県の校長などの経験者が話してくださるには、「いじめが起こったら、まず「大事」に変える」こと。
集団面接のときに説明してくださったのですが、放課後、子どもから靴隠しがあったと報告があったらまず学校に残ってる先生、こどもみんなに声をかけて靴を全員で探すことから始めるそうです。靴隠しされた子どもはただでさえ心細い状態だからこそ「みんなで解決するんだ」という姿勢を感じさせることが大切。逆に隠した子どもにしてみれば「そんな大事になるなんて」とショックを感じさせるのだとか。


いじめの話は終わって、また別のお話です。
学校の問題っていじめ以外にも規範意識の低下とか対人関係能力の低下とか職業観の希薄化とか、国のいろんな問題が学校に卸されてきてるから意外と多い(中には本来家庭で解決すべきこともあるけど…今回は触れない)。それに教師も人間だから教師同士の同僚性も教職大学院で取り上げられたりして、教育の現場は問題が山積みになっている。
私が勤めていた職場の上司は、山積みの問題を解決するためには優先順位を振ってひとつずつ解決しろと話してくださったが、これらの問題、どれもつながっているからどれかひとつを解決して終わりにはならない。しかもその場限りで終わる問題でもないからずっと見ていかないといけない。もっといえば、根本は変わらないけども、子どもだって時代において少しずつ変わっているのだからその子どもたちに合った指導も必要になってくる(一時はカリスマ教師と言われた先生も、退職直前のクラスが学級崩壊を起こしていたという話は有名)。
教育の現場において漢方薬はあっても特効薬はない。どの先生も言われる言葉です。どんな問題も学級経営・運営もヴィジョンを描いてずっと見ていかないとうまくいかない。だからこそ先生は子どもたちのモニタリング役として裏から支えていく必要があるのだと思います。大村はまさんだと「教師は仏の指であれ」、まさしくそんな教師にならなくてはな、とつくづく感じる。

大村はまさんの仏の指の話
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受験生……っぽくしてないorz

こんにちは、管理人のアルクです。書き込みする前に確認してみると広告が真っ先にあることで定評になりつつあります(ぇ。

今日は学校で受験対策ということで集団討論をしていたのですが、自分の意見を生かしつつも相手の意見も生かし、収束させることって難しいなあって思います。
実はこの前の水曜にもやってみたのですが、その時はつい相手の意見を叩くような意見を言ってしまい、「なぜその意見を潰した?」と聞かれてしまいました。今日は収束のつもりで言った発言がうまく伝えられず、逆に混乱させてしまったりと、うまくいかないものです。

集団討論で大切なことは『協力性』、『説得力』、『積極性』の3つ。それらをまとめて『協働力』とよばれますが、今はこれを重要視されてるといわれてます。

公務員採用試験で行われる集団討論。私が3年前就活で受けた集団討論と大きく変わったことがありました。
それは、司会者などの役割は設けずに討論を進める、ということです。
さっき公務員試験、集団討論で検索をかけてみると「司会者を設けて~」と書いてある対策ページが多かったです。
役割を設けないのは「楽をさせない、全員の協調性をみるため」です。役割っていうのはかなりおいしいもので「そこそこの積極性を見せつつ自分の意見をほとんど言わなくていい。しかも最後のまとめは自分が言える」という、要約するのがうまい人は得をする役なんですよね。だから逆に役割しないからこそ、全員で討論を進め、全員で意見を収束させる必要性が出てきます。
教員採用だけにかかわらず、民間企業でもこの方針は取っているんですかね?そうでなければ私が最初に見つけたHPがまだ新しい情報として載っている理由も分かりますが。

あと、自分の意見を言う時は「30秒以内に、簡潔に言う」と言われました。具体的には、「自分の考えは二つあります。一つ目は~。二つ目は…です。」のように、「自分の考えは二つあって、こんなことを考えています」というのが分かる言い方ですね。私も気にかけてそう言えるようにしてますが、そうは簡単に言えないものですね。

今日の集団討論後に担当教員に「あの発言悪かったですかね?」と訊いてみたら「発言が分かりにくかったかな。でも発言内容は聞いてないから大丈夫」と言われました。
水曜の時も言われましたが、試験官は発言内容よりもその発言の効果の方を見ているそうです。活発な討論を進めるための一言、収束に進むための一言、こういったのが大切。

でも、『協働力』の3つがどれか強すぎれば優柔不断、言い過ぎ、自己主張しすぎると悪い面になってしまいます。だからこそバランスのとれた『協働力』が今は問われているんだなと思います。

初スマホ書き込み

お久しぶりです。管理人のアルクです。

私も3月末からiPhoneに乗り換えて、ネット環境のない下宿先でも書き込みができるようになりました。今までやってなかったのはただ面倒になっていたから色々と忙しくなってきましたからね(汗。

またたまに書き込めるように寸暇を縫ってみます。

目の形は切れ長…らしい

更新が久しぶりすぎて何を書こうか考えている管理人です。
今年は大豪雪の年にやってきてしまったなあと思いますが、窓の外は雪がだいたい溶けたのでアスファルトの黒色がちゃんと見れるようになりました。

前回の書き込み以降色々なことがあったので一言で言い表すのが難しいのですが、あえていうのであれば、考えさせるための出来事ばかりだったなあ、と思います。
おかげで今も思い返すことが多いです。
だけどまあ、思い返したことを生かすことが大切だからいつまでも同じことばっかりするわけにはいけませんね。

今年こそ、更新が滞らないようにしたいです。遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。

レシートを貯めても家計簿に活かせないorz

 こんばんは。レポートの嵐に疲れて息抜きのついでに更新している管理人です。

 最近は、昼が暑くて夜は涼しいという気候なので夜寝るときはわりと楽になりました。もっといえば、院の先輩から扇風機をタダで頂けたので快適な眠りに就けるようになりました。
 梅雨の時は除湿機を回さないと部屋をカビの培養室にさせる可能性があったからやってましたが、そのおかげできっと毎朝脱水症状起こしながら起きてましたね。あの時は友人と研究室の教授から「顔色悪いぞ」と指摘されてました。

 今は教員養成の大学院に入ったこともあって、周りの友人たちはそれぞれが自分の興味関心のあるセミナーだったり学会だったりに参加してます。特に、私の隣の研究室の人たちは学会にむけた資料作りとかその研究室主催の集まりのパンフレット作りとかに追われているのに今日もレポート課題がひとつ…。大変だ。
 そんな光景を目にしながら、私自身も道徳教育と道徳の時間に興味があるので8月あたまに行われる研究会に参加する予定です。友人からは「高校の先生を目指しているのに道徳も勉強するのか」と訊かれたりします。私にとって道徳教育と道徳の時間は、教科ではないけども教えるべき内容である道徳をどうやって教えていいのか分からないからこそ勉強している、という位置づけです。それに、学部時代では「道徳は教えられない」という考えであったからこそ余計に興味があります。
 ちなみに、今道徳教育と道徳の時間を教えてくださっている先生や私の先輩先生にあたる人は決まって自分のことを「不道徳な人間ですが、道徳は教えてる」と言います。私から見れば十分道徳的な人間だと思いますがね。

 そんなふうに道徳にも興味を持ちながら勉強してると関連した単語を見つけやすくなるものですね。
 今さっきジュースを買いに階段を使って販売機に行く途中で、「グリーフケア」っていう単語を見つけたんですよ。戻るときにどんな内容をやるのかな、と思って項目を見てみると「死別体験から~」、「東日本大震災の後のグリーフケアを考える」ようなことが書かれていて、さわやかな新緑のポスターから考えにくい重たい内容についての研究をしているところもあるんだなあと思いました。
 で、それから戻ってきてから「じゃあグリーフケアってなんだろう?」と思ってネットで調べてみるとグリーフ(grief)というのは日本語では「悲嘆」という意味で、死による喪失から生じる深い心の苦しみのこと。これは、通常ただ一人で堪え忍ばなくてはならないものである。http://www.hospice.jp/oyakudati/griefcare.htmlより一部抜粋
 簡単にいえば、死別して残された人の悲しみに対するケアを行うことです(かね?)。
 まだグリーフケアについて深く調べてないのでなんとも言えないですが、あまり人々の中で馴染みがない言葉に思えます。実際、あの震災後の子どもたちに対する治療的行為は「心のケア」の一言だけしか聞いてないので、その「心のケア」の中身はほとんど知られてないのではないでしょうか。

 私の隣にある研究室の先生は5月上旬あたりに、学びあいで今回の大震災のことを子どもたちの中にしっかりと認知させようとしているみたいですが、ここも勉強不足なので、明日あたりにでもその研究室の友人にでも聞いてみたいと思います。

 そろそろレポートの嵐の中に戻っていきます。みなさんも夏バテとか寝不足とかにはお気を付けください。
 ではでは  ノシ
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